スリランカ支援の理由
海外支援がなぜスリランカなのか?

海外支援はなぜスリランカ?
日本の子供だけではなく海外の子供も支援したいと候補地を探していた時の事です。
どの国でも良かったのですが、たまたま海外の知人からスリランカと日本の歴史について聞いたのです。
1951年サンフランシスコ講和会議において、大東亜戦争(第二次世界大戦)で敗戦した日本は戦勝国である連合軍から厳しい制裁措置が求められていました。
ソ連の提案により日本はソ連、アメリカ、イギリス、中国の4ヶ国の植民地にするという「日本分割案」が検討されていたそうです。
この時、スリランカ(当時セイロン)のJ・R・ジャヤワルダナ初代大統領は自国の賠償権を無条件で放棄し、「日本の自由は制限されるべきである」というソ連の主張に対して異を唱え「我々は日本人に機会を与えてあげねばなりません」と世界に向けて訴えてくれたのです。
そして世界が注目する国際会議の場では、お釈迦様(ブッダ)のメッセージを引用し次のように言ったそうです。
「人はただ愛によってのみ憎しみを越えられる。人は憎しみによっては憎しみを越えられない。」
この言葉に多くの国が感銘を受け変化が生まれ、この後、日本は日本のままに復興する事に繋がって行ったのです。
本条約締結後、世界で一番早く正式に日本と外交関係を結んだのもスリランカでした。
J・R・ジャヤワルダナ初代大統領はすでに他界していますが、遺言により右目はスリランカの人に、左目は日本人に献体され、当時横浜に住む女性に移植されたという事です。
そして現在、急速に発展するスリランカですが、開発から取り残された貧しい村では安全な飲料水の確保が出来ておらず、住人の50%が腎臓病に悩まされ、子供の健康被害も深刻です。また、現金収入のない自給自足で生活をする貧困家庭の子供は満足な教育も受けられません。
これらの事を知り、今こそ当時の恩返しをしたいと思い支援先がスリランカに決定しました。